校長日誌
第17回体育祭閉会式における校長講評(令和7年5月29日)
皆さん、お疲れさまでした。
自分で満足のいく結果を得た人も、そうでない人もいると思いますが、本部席から見ると、皆さん一人一人すべてが、立派な体育祭を作り上げてくれていたと思います。
また、皆さんの多くが、競技での活躍はもちろん、それぞれの係の仕事などでしっかりと役割を果たしてくれている姿をたくさん見せてくれました。私は本当に嬉しく思いました。
そして、特に、さすが最上級生。3年生の応援や取り組みの姿勢はとても素晴らしかったと思います。体育祭の雰囲気を盛り上げてくれる、中心的な役割を果たしてくれました。
私たち教職員は、生徒の皆さんに高校生としての良き思い出を少しでも多く作ってほしいと願っています。また、皆さんの母校となる寄居城北高校を、皆さんがもっと好きになってほしい、大切に思ってもらえるようになってほしいと願っています。しかし、こうしてみると、今日、私たちは、生徒の皆さんのおかげで良き思い出をつくらせてもらいました。また、皆さんのおかげで、昨日よりも、今朝よりも、寄居城北高校のことを、自分にとっての好きな場所、大事な場所にしてもらったような気がします。
素晴らしい体育祭だったと思います。お疲れ様でした。
第17回体育祭開会式における校長挨拶(令和7年5月29日)
皆さん、おはようございます。このところ天候不順が続いていましたが、今日は体育祭にふさわしい天気に恵まれました。
昨年、初めて皆さんの体育祭の様子を見ることができて、幸せな気持ちになったことを思い出します。頑張る友達のことを良い笑顔と大きな声で応援しているのを見て、皆さんの「いのち」が、とても素敵な形で伸びていっているのを感じました。皆さんは、頑張る仲間のいのちの躍動を認め、称賛することで、自分のいのちも沸き立たせ、周りの人までも幸せな気持ちにする力を持っています。それは、皆さんが高校生として過ごせる限りある貴重な時間を大切にし、有意義に使っているという「あかし」でもあります。
さて、こうした行事のスムーズな進行に協力することの基本は、時間を守ることです。さらに、今日一日、トラブル無く気持ちよく過ごすためには、体育祭のルール、マナー、エチケットなどの、きまりを守ることも大切です。今日も「いのち」と「時間」と「きまり」を大切にして過ごしてください。
今日を迎えるにあたっては、準備段階からずっと、体育祭実行委員や体育委員をはじめ、いろいろな部活動や係の生 徒の皆さんに助けてもらっています。そして、特活部や保健体育科の先生方はもちろん、多くの先生方から、生徒の皆さんが事故なく今日の体育祭を楽しめるよう、御指導をいただきました。そのほかにも、受付をしていただいているPTA役員の皆様など、本当に多くの方々からの御尽力をいただいて今日を迎えられたことに、校長として心から感謝いたします。ありがとうございました。
さあ、何度も同じことを言っていますが、こうしたお祭りは、頑張った人ほど、楽しむことができるものです。どうか、ひとりひとりが精一杯自分の役割を果たしながら、思いっきり楽しんでください。私も、この目で皆さんの活躍やチームワークとフェアプレーのあらわれを見ることができるのを、楽しみにしています。
素敵な一日になるよう祈りつつ、開会の挨拶といたします。
剣道部(男子団体)関東大会出場に向けての壮行会における激励の言葉(令和7年5月27日)
剣道部の皆さん、おめでとうございます。そして、この壇上にはいないけれども、一緒に頑張ってきてくれた部員の皆さんも、おめでとうございます。
人口の少ない北部地区で、特待生や推薦入学などで集められたわけではないあなた方が、先生の指導に応えて、自分自身を成長させ、県の代表として関東大会に臨みます。これは、誰に対しても胸を張って誇れる快挙です。ものすごいことです。大人の私たちにとっても、頭の下がることであります。
放課後のときなどに何かの用事で校内を歩いていると、グラウンドの片隅にいても、皆さんの気迫の込もった声が聞こえてきます。そのたびに、剣道場にある「気、漲る」という字のとおりだなあと思っています。
こうして言葉でお祝いするのは簡単ですが、皆さんがこれを現実のものとするには、大変な努力の継続、困難の克服があったと思います。ただ努力すればできるというレベルのものではありません。力のある人が、チームが、切磋琢磨して、それでも、なかなか届かない。そんな学校がたくさんあります。その中で皆さんは、選手として出場しなかった人も含めた部員全員で、「頑張るのが当たり前」という雰囲気をつくり、稽古を重ねて、この快挙を成し遂げました。これは、剣道部の皆さん全員で手にした、部全体での成果です。目に見えるものと見えないものの力をすべて味方につけるだけの積み重ねがあったと、拝察いたします。
同じ学校の仲間が大きな何かを成し遂げるということは、周りの友達にとっても、自分の可能性に希望を持つきっかけとなる、素晴らしいことです。校長としても感謝いたします。
どうか、関東大会では、思う存分のびのびと、自分の良さを出してきてください。貴重な機会に向けて、皆さんが持てる力を十分に発揮されることを祈りつつ、あなた方を支えてくれたすべての人と物事に対して、私からも感謝を申し上げますとともに、寄居城北高校と、その関係者すべてに代わり、代表としてお祝いを申し上げて、激励の言葉といたします。
令和7年度 生徒会主催対面式における校長挨拶(令和7年4月10日)
改めまして、皆さん、おはようございます。
先ほどの新入生入場の際、1年前のことを考えていました。去年の対面式のとき、一所懸命に拍手をしている上級生の姿を見て「こういう、頑張っても頑張らなくても損得に関係のない場面でどう振る舞うか、というところに、人柄って出るんだなあ」と、しみじみ感じさせられたのを思い出しました。そして、この年度末には、卒業式の最後に今の3年生が、こうして拍手に送られて退場していくんだなあと思ったら、先生という職業を選んだ人間の、本能のような部分を刺激されて、少し込み上げてくるものを感じてしまいました。
偶然の出会い、邂逅というものを大切にしてほしいと、始業式で2・3年生の皆さんには言いましたが、皆さんは今、偶然に同じ学校に入学し、偶然に同じクラスになり、ここに一緒にいます。言ってみれば、人と人との出会いは100%、ほぼすべてが偶然です。その出会いを「必然だったんだ」とか「運命的なものだったんだ」と思えるようになるかどうかは、皆さん一人一人の心と言葉と行いのありよう、そして、その働きによるものです。
1年生の皆さん。入学して、学校行事や部活動の見学などを通じて、先輩たちが行事を運営したり部活動をリードしたりしているのを見て、「すごいなあ」と思っている人も多いかと思います。逆に、活躍している先輩方の中には、「自分たちが1年生のとき、あんなに立派で頼もしく見えていた先輩たちも、今の自分のように、心の中で不安を感じながらも頑張って自分たちをリードしてくれていたのかなあ」と思っている人もいるでしょう。
寄居城北高校は、18年前に2つの高校が合併統合して生まれました。前身となる学校と合わせると、80年近い歴史があります。本校だけに限ってみても、こうした先輩と後輩のいとなみが80年近く続いてきたというのは、考えてみると、すごいことです。1年生の皆さんは、今、そのいとなみの大きな流れにつながったわけです。そういうことを考えてもらうと、今日の対面式が、より有意義なものになるのではないかと思います。
私事で恐縮ですが、先日、30年ほど前に担任したクラスの生徒たちが同窓会に呼んでくれました。もう45歳、皆さんの親御さんの世代になるでしょうか。私は、その子どもたちが…、もう子どもではないのですが、その子たちが仲良く楽しそうに話している姿を見て、とても幸せな気持ちになりました。友達付き合いが今も続いていて、家庭の悩みや子育ての悩みを折に触れて話していると聞き、さらに幸せな気持ちになりました。部活動の先輩後輩のつながりが今も続いている、という子もいて、それを聞いて本当に嬉しくなりました。
友達同士で良い横のつながりができたり、部活動の先輩後輩と良いつながりができたりすることは、皆さんにとって幸せなことだと思いますが、それだけではなくて、それは皆さんの家族にとっても、私も含めた周りの人にとっても、幸せを感じさせることになるのです。
この対面式が、そんな幸せなつながりを作るきっかけとして役に立つものとなりますよう祈りつつ、挨拶といたします。
令和7年度入学式における校長式辞(令和7年4月8日)
式辞
春風に揺れる花が鳥の声に合わせ舞を舞っているかのように見える、心躍る季節となりました。桜沢という美しい地名のとおりの風景です。今日の佳き日、多くの御来賓をお迎えし、保護者の皆様にも御臨席いただき、埼玉県立寄居城 北高等学校令和7度入学式を挙行できますことは、校長として大きな慶びでございます。ここにお集まりの皆様と、この入学式の開催に御尽力いただいたすべての方々に、心からの感謝を申し上げます。
さて、先ほど呼名された167名に入学を許可いたしました。新入生の皆さん、入学おめでとうございます。高等学 校は義務教育ではありません。皆さんの多くは、人生で初めて自分の進路に関わる選択と決断を経験し入学しました。それぞれの不安や迷いを乗り越えここに座っています。どうぞ胸を張ってください。これからは本校の生徒として一緒に学んでいきます。私たちは皆さんを歓迎します。皆さんのこれからの努力を応援します。
そして、入学生の皆さんを育て支えてこられた保護者の皆様、改めまして、おめでとうございます。この場にはいない、今までこの新入生たちを見守り、助け、応援してくださった多くの方々にも、心よりお祝いを申し上げます。
本校は、地域の皆様の期待に応えつつ多くの人材を社会に送り出してきました。卒業生はあらゆる分野で活躍し世の中を支えています。新入生の皆さんも、そのような地域の大きな支えや世の中のつながりの中で生きています。皆さん、ここで三年間の高校生活を過ごす者として、学校での学びと、高校生としての体験と、地域の人々とともにある生活を、自分の成長に活かしていってください。
さて、私はいつも生徒の皆さんに「いのちと、時間と、きまりを大切にしてください」と話していますが、今日は、「誠実、貢献、創造」という、本校の校訓についてお話をいたします。校訓とは、生徒の皆さんにこんな人になってほしい、こんなことを大切にしてほしい、ということを短い言葉で表したものです。
一つ目は「誠実」です。
辞書には、「心がこもっていて、嘘いつわりがないこと」と説明があります。似たような言葉に「真摯」とか「実直」などがありますが、「真摯に行う」というと真面目で一所懸命に取り組むことを表し、「実直な人柄」というと真面目で表裏のないことを言います。それに対して、「誠実」は「心がこもっている」ことが特徴ですから、「誠実な人」とは、真面目で心から相手のことを考えて行動できる人をいうのでしょう。
めでたい入学式の席で恐縮ですが、世の中には、嬉しいことや楽しいこと、明るいことがたくさんあるのと同じように、悲しいことやつらいこと、暗いこともたくさんあります。ときに人間は、悲しくて、つらくて、真っ暗な中に一人ぼっちでいるような気持になって、どうしようもなくなってしまうことがあります。
しかし、そんな時に誰かが、そのつらい気持ちでいる人のことを心から考えて、その誠実さを言葉や態度や行いで示してくれたら、どうでしょうか。真っ暗な気持ちの中に閉じこもっている人にとって、誠実な思いやりを示してくれたその人は、光そのものです。植物が光を浴びて成長するように、その人は、もう一度立ち上がって伸びていくことができます。人間は、誠実さを持とうとすることで、誰かの光になることができるのです。
誠実という校訓には、皆さんに、世界のどんな隅っこでもいい、小さくてもいい、誰かを光で照らしてあげられるような思いやりのある人になってほしいという願いが込められている、と私は考えています。
校訓の二つ目は「貢献」です。
今日は「ある物事や社会のために役立つよう力を尽くすこと」という辞書的な意味よりも、もっと皆さんの人生に関わることを話します。
私は、自立するということは、自分のできないことを誰かに助けてもらう代わりに、誰かのために何かができるようになることだと考えています。人間は集団で社会をつくってきました。すべてを一人でこなして生きていくことは誰にもできません。困ったときに適切な形で誰かに助けを求めることのできる力を身につける。同時に、何かを通じて困っている人を助けてあげられる力を身につけ貢献する。それが本当の自立だと私は考えます。
新入生の皆さん。不思議なことに人は、誰かに何かしてもらっているだけでは、どんな贅沢をしても良いものを手に入れても満足しないそうです。他人に喜ばせてもらっているだけでは心の底からの喜びを手に入れることはできないのだそうです。では、人は、どんなときに幸せな気持ちになれるのでしょうか。
実は、人間は自分の存在が意味のあるものだと感じたときに本当に満足し、幸せな気持ちになるのだそうです。自分の力で誰かに喜んでもらえたとき、誰かが幸せになるお手伝いができたとき、誰かを助けたり、何か良いことの役に立つことができたりしたとき、心の底から満足感を感じ、生きていてよかったと思うのだそうです。
だから、校訓にある「貢献」は、誰かのために何かしろと呼びかけているのではなくて、皆さんに、人や社会の役に立って本当の満足を味わう幸せな人生を送ってほしい、誰かを助けたり誰かに助けられたりしながら、立派な社会人として生きていけるようになってほしい、という願いを込めてある言葉なのだと私は解釈しています。
校訓の最後は、「創造」です。
もちろん、新しいものを初めて創り出すことを表します。今までになかった物事を作り出す、オリジナリティのあるアイデアを出す、ということなのですが、まさか、皆さん全員に発明家になれとか会社を起こせ、と言っているわけではないでしょう。
確かに、将来、今までなかったような個性的な活躍を皆さんにしてほしいという願いも込められているでしょう。しかし、だからといって、無理して個性的であろうとしたり、やたら人と違う変わったことをしようとしたり、良いお手本が近くにあるのに、ゼロからすべて自分で生み出さなければいけないと悩んだりする必要は、ありません。
ためしに、何かをすべてお手本どおりにやってみようとしてください。絶対に、100%同じにはできません。同じようにできない理由は、ひょっとしたら、あなたが未熟なためかもしれません。しかし、その同じでない部分には、確実に、あなたの個性が隠れています。
個性は、わざと目立たせようとしても育ちません。努力して成長していくうちに、いつの間にか伸びているものです。あるいは、お手本どおりにやっているうちに、自分はどうしても別のことがやってみたいと、湧き上がってくるものなのです。なぜなら、個性は誰もが持っているものなのですから。
ちなみに、大した努力もせずに手に入った個性だと思えるものの多くは、ただの悪い癖です。直すべきものであることがほとんどです。自分には個性がないと悩む人は、まず、お手本どおりにできる力を身につける努力をしてみてください。お手本どおりにできたかな、と自分で思えるようになった頃に、誰かが「あなたは、とても個性的で魅力的なものを持っていますね」と言ってくれるでしょう。どうぞ、誰もが持っている創造的な個性が、自分の中から形になって出てくるよう、自分を磨いてください。
さて、保護者の皆様。大きくなったお子様を御覧になって「もう、何でも子どもにまかせていいかな」と思う方も多いと思います。しかし、高校生は、まだ実社会を良く知りません。むしろ、世の中を知っている保護者の皆様からのアドバイスは、さらに貴重なものとなります。
また、総合学科という柔軟な教育システムは、大きな自由がある反面、その選択の責任を自分で負わなければならないシステムでもあります。卒業に向けしっかり自己管理できることが必要になります。
保護者の皆様におかれましては、本校の教育について御理解と御協力をいただき、学校と連携して、お子様の健やかな成長と卒業後の希望進路実現のために御支援を賜りたく存じます。我々教職員も全力で生徒の皆さんの努力を支援いたします。
最後に、入学生の皆さん。どうか、保護者の皆様をはじめ、皆さんが高校で学ぶことができるように道を拓いてくれた方々に感謝してください。そして、今度は皆さんが、どんな小さなことでもいいですから、誰かのために道を拓いてあげられるような力を、この寄居城北高校で身につけて卒業してください。
結びに、新入生の皆さんが実りある高校生活を送り大きく成長することと、御臨席いただいたすべての皆様の御健勝と御多幸とをお祈り申し上げて、式辞といたします。
令和七年四月八日
埼玉県立寄居城北高等学校長 新井 康之
1学期始業式における校長講話(令和7年4月8日)
皆さん、おはようございます。
令和7年度が始まりました。世界的に学年の変わり目は夏休み明けが多く、4月を年度の始まりとするのは日本独特の習慣です。しかし、日本人がとりわけ愛している桜の季節が節目となるのは、結果的に美しい偶然となりました。
皆さんも、さまざまな偶然によって、今、周りにいる人と同じクラスになったのでしょう。偶然の良き出会いを「邂逅」といいますが、この年度のはじめの出会い、邂逅を、大事に育てていってほしいと思います。
出会いに必要なものといえば、挨拶です。挨拶は、人の心に近づき心を開くきっかけとなるものです。昨年度の自分よりも良い挨拶ができましたか。自分に問いかけてみてください。
私はいつも皆さんに「いのちと、時間と、きまりを大切にしてほしい」という話をしていますが、挨拶は、「生きているあなたがそこにいるのを、私は尊重します」という意思表示でもあります。これも、いのちを大切にする行いの一つです。
日本は、太平洋戦争とも呼ばれた第二次世界大戦の終結後、80年にわたって戦争の当事国にはならず、深刻ないのちの危険に直接さらされないまま、平和な生活が日常となっています。しかし、私の友人の娘さんはウクライナの方と結婚し、今もキーウに住んでいます。「グローバル社会」といわれる現代、遠い異国の戦争も、他人事ではありません。皆さんが、今も、これからも、自分のいのちや他人のいのちを尊重して生きていくために、ささやかでもいいですから、色々なことを考えて日々を過ごしてほしいと思います。
さて、新2年生の皆さん。入学して1年が経ちました。今日の午後には入学式があります。新入生に対して、良き先輩として胸を張れる準備はできましたか。素敵な先輩らしくなれましたか。成長する努力が足りないまま先輩ぶる、というのは逆にみっともないですから、素直に謙虚に今の自分を見つめて、成長しようと努力する姿を後輩に見せてあげましょう。
そして、新3年生の皆さん。立派な先輩になりましたね。これからは世の中に出ていく準備です。高校生活は残り1年ではありません。2月のほとんどは自宅研修、3月の登校日は3日間、今日は4月8日。そう考えると、皆さんに残された高校生としての時間は、10ヶ月を切りました。今の自分と残された時間とをしっかり見つめて、歩く道筋を考えてください。
今は、高校生としてのきまりを大切にしながら過ごしてもらっていますが、社会人になると、世の中のルール、マナー、エチケットなどのきまりごとについては、学校と違って「まだ子どもなんだから」という教育的配慮がありません。きまりや仕組みに振り回されないよう、しっかり知って、学んで、生きて行けるようにしてください。
2・3年生の皆さんのほとんどは、16歳か17歳です。今までの人生に対する割合でこの1年を私と比べて考えてみると、16分の1と62分の1ですから、私の1年は、皆さんの4倍近い速さで過ぎていったわけです。皆さんも、これから時間が過ぎるのをどんどん早く感じるようになります。高校生でいられる時間を大切にしてください。
ところで、以前、皆さんに「学校は、わからなかったことがわかるようになるところ、できなかったことができるようになるところ、今までつながっていなかった人や知識や物事がつながるようになるところ」だという話をしました。そして、「だから、今はわからないことがあってもいい、できないことがあってもいい。わかろうとする努力、できるようになろうとする努力だけは、やめてはいけない。」ということも話しました。
それでは、いつまでにわかるようにすればいいのか。いつまでにできるようにするのか。そのために何をすればよいのか。どういう計画を立てて実行すればよいのか。ぜひ、令和7年度のはじめにあたって、考えてみてください。そして、少しでもいいから行動に移してみてください。
昔、「ありのままの」という歌が流行りましたが、ありのままの自分というのは尊いものです。しかし、ありのままの自分は、決して「今のままの自分」のことではありません。人はいくつになっても、何かしら向上し成長することができるものです。来年の3月の自分、5年後の自分、10年後の自分を考えて、その実現のために、明日の自分、今日の自分、今の自分は何をするべきなのか、考えて行動してください。
このお願いを、始業式における校長講話といたします。皆さんにとって令和7年度が素敵なものになりますよう祈っています。
第3学期終業式における校長講話(令和7年3月24日)
改めまして、おはようございます。
後期の終業式を迎えました。12月にも同じようなことを言いましたが、皆さんにとってのこの1年が、どんな小さなことでもいい、自分が成長したと思えるような、何らかの努力が実を結んだと思えるようなものであることを祈っています。
3月10日に行われた卒業式は、ほんの3年前のコロナ禍が嘘のように、在校生の皆さんにも参加してもらい、国歌、校歌、「旅立ちの日に」などを一緒に歌って卒業生を送り出すことができました。たいへん嬉しく思っています。きっと卒業生の皆さんは、皆さんと過ごした寄居城北高校での日々によって成長した自分自身に、しっかりとした手応えを感じつつ巣立って行ってくれたことと思います。
卒業した先輩たちは、自分のいのちをより良く成長させるような生活を送り、巣立って行きました。それは、高校生としての貴重な時間を大切にしてきたということです。そして、まわりの人と一緒に成長する中で、お互いを大切にするために、ルールやマナーなどの、さまざまなきまりを大切にしてきたということでもあります。皆さんも「いのちと時間ときまり」を大切にして、それに続いてください。
さて、生徒会の皆さんが作ってくれた「赤土」という冊子があります。皆さんに配られるものですが、この中に、私も文章を書かせてもらいました。「赤土を練り、焼き、器とする」という題をつけました。
縄文式土器。私たちの御先祖様が初めて焼いた器ですが、これには粘土のほかに、わざと入れたとしか思えない植物の繊維や砂など、さまざまなものが含まれている、と聞いたことがあります。
人間の精神の大きさを、その人の「器」と表現することがありますが、人も、「すぐ役に立つもの、自分の得になるもの」だけに目を向けるのでなく、さまざまなことを学び、ときには炎で身を焼くような苦しさも潜り抜けて、割れにくい大きな器を作っていくのでしょう。鍛錬という言葉のように、たたいて、鍛えて、練って、という工程が必要なことが、ときにはあります。逆に、折れたり火が消えたりしてしまうほど自分をいじめてもいけません。また、土器でいう植物の繊維や砂やそれを焼く火種のような、自分にとっての適切な助けを見極めて、それを求める力や、人に頼る力も必要です。色々と、考えてみてください。
さて、長いお休みに入る前には、いつも言っていますが、本を読みましょう。誰かの役に立つ手伝いなどをしましょう。本は、自分の世界を広げてくれます。手伝いなどを通じて誰かの役に立つこと、良いことの実現にかかわることは、自分自身の成長を感じる第一歩となります。そして、挨拶をしましょう。挨拶は、人と人との心を近づけ、心を開いてくれるきっかけになります。
繰り返しになりますが、今年度の一年間が皆さんにとっての成長につながるものであったことを祈りつつ、これから迎える来年度の一年間が、さらに実を結ぶものとなることを願っております。どうか、4月8日の始業式に、皆さんの元気な顔を見せてください。
卒業式における校長式辞(令和7年3月10日)
穏やかな春の日差しの中で「百花の魁」と言われる梅の花が咲き、城跡を巡る荒川の流れも心なしか優しく感じられます。先週も春の雪が降りましたが、「雪に和して香る」と讃えられる梅の花は、皆さんの「旅立ちの日」を祝うかのように咲いています。
今日の佳き日、多くの来賓の方々をお迎えし、保護者の皆様にも御臨席いただき、埼玉県立寄居城北高等学校第十五回卒業証書授与式を挙行できますことは、本校校長として大きな慶びでございます。
本日、本校を巣立つ百六十一名の卒業生の皆さん、おめでとうございます。そして、本校の教育活動に多くの御支援と御協力をお寄せくださった保護者の皆様に、御礼とともに心からのお祝いを申し上げます。
卒業生の皆さんは、この規模の学校としては珍しいほど広い範囲のさまざまな中学校から集まり、それぞれの個性の 違いを超えて友情を育んで、高校生活を立派に送ることができました。新型コロナウイルス感染拡大防止のため多くの 学校行事が制限されたことを乗り越え、従来と異なる形で工夫して実施することも経験しました。また、部活動や生徒会活動でも、さまざまな素晴らしい結果を残してくれました。それは、学校にとっても皆さんにとっても、大きな財産です。そして、その充実した高校生活の締めくくりとなる希望進路の実現においても、皆さんは大きな成果を残しました。これらは、後輩たちの良き手本・目標になります。どうぞ胸を張って卒業してください。
さて、本校の校訓は「誠実・貢献・創造」です。また、私はいつも「いのちと時間ときまりを大切に」と話しています。良いものを三つ並べることはリズムもバランスも心地良いので広く好まれていますが、その中に「真善美」というものがあります。真実の「真」、善悪の「善」、美しい「美」。西洋哲学の言葉ですが、全世界に知られています。
実は、大切にされてきたこれらが今、危機的状況にあります。究極のところは、私たち大人が、それを大事にする社会を作り切れていないことが原因なのですが、具体的な原因の一つとして、「世の中に悪い見本が増えてしまったためだ」と言う人もいます。
たとえば、ある国には、都合の悪い事実をなかったことにして、インターネットの検索もできないように権力で操作する国家元首がいます。ある国には、大きな武力があれば隣の小さな国の領土を自分の物にしてもよいと考えているような国家元首がいます。また、大きな国に攻め込まれて困っている小さな国に向かって、助けてやるから貴重な天然資源をよこせと迫る、別な大国の国家元首がいます。
昔の大人は、少なくとも子どもたちの前では、「嘘いつわり」や、「潔くないこと」、「乱暴な振る舞い」や、「思いやりのない、人の弱みに付け込むようなこと」などを、良くないものだと教えていました。
しかし、今の社会には、子どもたちや若者たちに対して、金と力さえあれば自分勝手なわがままを通していいかのような「間違ったお手本」のメッセージを送っている大人が目立ちます。
これから成人として、私たちと同じ大人の立場になっていく卒業生の皆さん。これから世の中に出ていく皆さんに、お願いです。自分が多くの人との関わりの中で生きていることを忘れないでください。そして、どんな小さなことでもいい、「本当のこと、良いこと、美しいこと」などを大切にする世の中を、皆さんの下の世代に残していくために、どこかを照らす小さな光になってください。つらい気持ちで苦しむ誰かに「誠実」に接するとき、「貢献」するとき、あなたは誰かの未来を「創造」する光になれます。
では、お別れに、生徒会誌「赤土」にも書きましたが、いつもと違う言葉を贈ります。
皆さんは、私たち先生よりも、保護者の皆様よりも、賢く、心豊かで、幸せにならなければいけません。それは、私たちや保護者の皆様にとっての願い、希望であり、あなた方にとっての権利であり、皆さん自身が、皆さんの子どもたちの世代に対して背負う義務なのですから。
整いませんが、この言葉を、皆さんへの餞といたします。
結びに、本校を巣立つ皆さんの今後の御活躍と、ここに御臨席いただいたすべての皆様、そして、卒業生を支えてくださったすべての方々の御健勝と御多幸をお祈り申し上げて、式辞といたします。
壮行会における激励の言葉(令和7年1月8日)
(本校写真部の生徒たちによる、第31回関東地区高等学校写真展(千葉大会)への出品にあたって)
写真部の皆さん、素晴らしい成果、おめでとうございます。事務室前の玄関を入ったところに、いつも素敵な作品を飾っていただき、楽しみに拝見しています。
美しいもの、かっこいいもの、努力する姿など、さまざまな素晴らしいものに触れたときに、人の心は動きます。橋本治という作家に言わせると、人は『きれいだなあ』と思い『ぽかあん』とした経験を重ねることで、芸術への感性が磨かれていくのだそうです。
玄関に入ってきたお客様の対応をしたとき、飾ってある写真部の皆さんの作品や昔の卒業生の絵画などの作品について、「綺麗ですねえ」とか、「面白いですねえ、生徒さんの作品ですか?」と言われたことは、一度や二度ではありません。校長として嬉しく、また誇らしく思いました。皆さんの作品は確実に人の心を動かしています。ありがとう。
どうか、関東大会でも多くの人の心を動かして、楽しい時間を作ってきてください。皆さんの活躍を願う生徒・教職員を含めた寄居城北高校に関係するすべての仲間を代表して、激励の言葉といたします。
第3学期始業式における校長講話(令和7年1月8日)
おはようございます。皆さんの元気な顔をみることができて、とても嬉しく思います。今日は、新年を言祝(ことほ)ぎ、挨拶を兼ねてお話をいたします。
昨年末、2学期終業式での私の挨拶の最後に「本を読みましょう」、「お手伝いなど、だれかの役に立つような、良いことをしましょう」と言いました。どうでしたか? どんな小さなことでもいいです。思い起こして「できたかな」と思った人は、しっかりと自分を褒めてあげてください。また、今日も表彰や壮行会があります。昨年末、2学期の終 業式で「誰かが立派なことをするのは、周りの仲間にとっても素晴らしいことです」と話しました。それを思い出して臨んでください。
さて、理屈を言えば、12月31日と1月1日の間に大きな違いはありません。しかし、私も含めて多くの人は、新しい年に何かを期待し希望を持ちます。
放っておけば、ただ、だらだらと流れて行ってしまう毎日に区切りを付けて、名前を付けて、意味を与える。考えてみると、それは、とても素敵なことです。
無限なもの、わけのわからないものは色々あります。そういったものに対して私たちの祖先は、ただ恐れるだけでなく、ただ見ないふりをして逃げるだけでなく、正面から取り組んで、観察して、考えて、意味を与えて、生きてきました。
だから、皆さん。この年の初めに、何か目標を持ちましょう。どんな自分になりたいか、どんなことをしたいか、よく考えて、自分の今年の目標を考えましょう。それは、自分にとってまだはっきりと見えてこない未来や、まだ何をしていいかわからなかったり、どんなことをしたらいいのかわからなかったりすることに対して、前向きに取り組むことにつながります。また、まだ意味のわからない「人生」と言うものに対して、立ち向かうための1つの力になります。
私は、いつも「命と、時間と、きまりを大切にしましょう」という話をしていますが、大切にするということは、前向きによく考える、ということでもあります。命も、時間も、目に見えない、さわれない、わけのわからないものです。それをよく考えて、大切にして、みなさん一人ひとりが自分で意味を与えてあげて欲しい。
そして、きまりごとというものも、皆さんのご先祖様や先輩たちが、生きていき易くするために、わけのわからないものに立ち向かって意味を与えた結果生まれた、ひとつの財産です。
どうか、新しい年の初めに、自分なりの目標や、やってみたいこと、なりたい自分について考えましょう。それは、とても大切な、素敵なことです。去年より、少しでも成長しよう。そう思うことは、人として尊いことです。今年が皆さんにとって、そんな素敵なこと、尊いことが実現できるよう行動する良い年になるよう祈りつつ、校長からの講話といたします。