第3学期始業式における校長講話(令和7年1月8日)
おはようございます。皆さんの元気な顔をみることができて、とても嬉しく思います。今日は、新年を言祝(ことほ)ぎ、挨拶を兼ねてお話をいたします。
昨年末、2学期終業式での私の挨拶の最後に「本を読みましょう」、「お手伝いなど、だれかの役に立つような、良いことをしましょう」と言いました。どうでしたか? どんな小さなことでもいいです。思い起こして「できたかな」と思った人は、しっかりと自分を褒めてあげてください。また、今日も表彰や壮行会があります。昨年末、2学期の終 業式で「誰かが立派なことをするのは、周りの仲間にとっても素晴らしいことです」と話しました。それを思い出して臨んでください。
さて、理屈を言えば、12月31日と1月1日の間に大きな違いはありません。しかし、私も含めて多くの人は、新しい年に何かを期待し希望を持ちます。
放っておけば、ただ、だらだらと流れて行ってしまう毎日に区切りを付けて、名前を付けて、意味を与える。考えてみると、それは、とても素敵なことです。
無限なもの、わけのわからないものは色々あります。そういったものに対して私たちの祖先は、ただ恐れるだけでなく、ただ見ないふりをして逃げるだけでなく、正面から取り組んで、観察して、考えて、意味を与えて、生きてきました。
だから、皆さん。この年の初めに、何か目標を持ちましょう。どんな自分になりたいか、どんなことをしたいか、よく考えて、自分の今年の目標を考えましょう。それは、自分にとってまだはっきりと見えてこない未来や、まだ何をしていいかわからなかったり、どんなことをしたらいいのかわからなかったりすることに対して、前向きに取り組むことにつながります。また、まだ意味のわからない「人生」と言うものに対して、立ち向かうための1つの力になります。
私は、いつも「命と、時間と、きまりを大切にしましょう」という話をしていますが、大切にするということは、前向きによく考える、ということでもあります。命も、時間も、目に見えない、さわれない、わけのわからないものです。それをよく考えて、大切にして、みなさん一人ひとりが自分で意味を与えてあげて欲しい。
そして、きまりごとというものも、皆さんのご先祖様や先輩たちが、生きていき易くするために、わけのわからないものに立ち向かって意味を与えた結果生まれた、ひとつの財産です。
どうか、新しい年の初めに、自分なりの目標や、やってみたいこと、なりたい自分について考えましょう。それは、とても大切な、素敵なことです。去年より、少しでも成長しよう。そう思うことは、人として尊いことです。今年が皆さんにとって、そんな素敵なこと、尊いことが実現できるよう行動する良い年になるよう祈りつつ、校長からの講話といたします。