3学期始業式における校長講話(令和8年1月8日)
おはようございます。まずは、明けましておめでとう、ですね。皆さんの元気な顔をみることができて、とても嬉しく思います。令和8年の新年を言祝(ことほ)ぎ、挨拶を兼ねて、お話をします。
冬休みに入る前の終業式では、「本を読みましょう」、「何か良いことで、誰かのお手伝いをしましょう」、「自分を褒めてあげられるようなことを見つけて、1年を締めくくりましょう」と呼びかけました。皆さん、どうでしたか。素敵な新年を迎えられたでしょうか。
今日も、始業式の後に写真部の壮行会があります。また、1月5日の読売新聞には、昨年の卒業生の学年主任だった、転出された先生の記事と写真が載っていました。身近な誰かの活躍は、周りの仲間にとっても、嬉しい、素晴らしいことです。
さて、いつも私は「いのちと、時間と、きまりを大切にしましょう」と話しています。しかし、残念なことに、冬休みの間のニュースに限っても、ある国の国家元首は、自分の利益のために麻薬を売りさばいたと言われています。別のある国の国家元首は、自分の国の正義だと言って、自分の国の軍隊に国際法を無視した行いをさせています。皆、都合のいい理屈をつけて、自分が正しいと言います。皆さんは、まるで、「自分たちの利益になるなら、いのちやきまりを無視していい」とする大人たちから、悪い見本を見せられているかのようです。
それでも、私は皆さんに願うのです。どうか、皆さんが生きる、生きていく、皆さんがつくる、つくっていく未来の世の中が、いのちと、時間と、みんなで考えたきまりごとを大切にするものであってほしいと祈っています。
でも、こんな大統領もいました。昨年亡くなった、ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領です。畑のある小さな家に住み、妻と犬と暮らし、収入は、大半を寄付してしまう。質素な服を着て、「世界一貧しい大統領」と呼ばれていました。けれども、本人は不満でした。「私は貧しいわけではない。質素が好きなだけだ。」「貧乏な人とは、いくら物があっても満足しない人のことだ。」というのです。京都の竜安寺の手水鉢、蹲踞(つくばい)に刻んである「吾唯知足(われ、ただ足るを知る)」という言葉と、同じ考え方ですね。
また、谷川俊太郎という詩人がいます。亡くなって1年ちょっと経ちます。最近の百年間では間違いなく日本一の詩人だったと言っていいでしょう。犬のスヌーピーが出てくる漫画「ピーナッツ」や、小学校低学年の国語の教科書にも載っている「スイミー」という絵本の翻訳をした人、と言うと、わかりやすいかもしれません。この人の作品に、やはり小学校の国語の教科書にも載った『生きる』という題名の詩があります。5つの連すべてが「生きているということ/いま生きているということ」という言葉で始まる39行の長い詩の第3連の後半には、「すべての美しいものに出会うということ/そして/かくされた悪を注意深くこばむこと」という表現があります。
私は先ほど、都合のいい理屈をこねて良くないことをする政治家を例に挙げましたが、人々のために一所懸命に働いている政治家もたくさんいます。逆に、正しそうに見える活動にかくれて、若い人をだまして自分の思い通りに動かそうとする人もいます。どうか、皆さん。かくされた悪を注意深くこばんで、いのちと、いま生きているということを大切にして、生きてください。
とはいっても、難しく考える必要はありません。とんち話でよく知られる一休さんは、室町時代に実在したお坊さんですが、年をとってから「ありがたい教えを書いてくれ」と頼まれたとき、『諸悪莫作、衆善奉行(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう)』、「悪いことをしないで、良いことをしましょう」と書きました。「そんなことは、3歳の子どもだって知っていますよ。」と文句を言われると、「だが、実行するのは80歳の老人になっても難しい。」と答えたそうです。
そして、宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』には、「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸(さいわい)なんだねえ。」というカムパネルラの言葉が出てきます。
皆さんにとって、今年が、「美しいものに出会い、良いことをして、幸せになる」そんな素敵な年になるよう、願っています。