日誌

令和7年度入学式における校長式辞(令和7年4月8日)

   式辞

 春風に揺れる花が鳥の声に合わせ舞を舞っているかのように見える、心躍る季節となりました。桜沢という美しい地名のとおりの風景です。今日の佳き日、多くの御来賓をお迎えし、保護者の皆様にも御臨席いただき、埼玉県立寄居城 北高等学校令和7度入学式を挙行できますことは、校長として大きな慶びでございます。ここにお集まりの皆様と、この入学式の開催に御尽力いただいたすべての方々に、心からの感謝を申し上げます。

 さて、先ほど呼名された167名に入学を許可いたしました。新入生の皆さん、入学おめでとうございます。高等学  校は義務教育ではありません。皆さんの多くは、人生で初めて自分の進路に関わる選択と決断を経験し入学しました。それぞれの不安や迷いを乗り越えここに座っています。どうぞ胸を張ってください。これからは本校の生徒として一緒に学んでいきます。私たちは皆さんを歓迎します。皆さんのこれからの努力を応援します。

 そして、入学生の皆さんを育て支えてこられた保護者の皆様、改めまして、おめでとうございます。この場にはいない、今までこの新入生たちを見守り、助け、応援してくださった多くの方々にも、心よりお祝いを申し上げます。

 本校は、地域の皆様の期待に応えつつ多くの人材を社会に送り出してきました。卒業生はあらゆる分野で活躍し世の中を支えています。新入生の皆さんも、そのような地域の大きな支えや世の中のつながりの中で生きています。皆さん、ここで三年間の高校生活を過ごす者として、学校での学びと、高校生としての体験と、地域の人々とともにある生活を、自分の成長に活かしていってください。

 さて、私はいつも生徒の皆さんに「いのちと、時間と、きまりを大切にしてください」と話していますが、今日は、「誠実、貢献、創造」という、本校の校訓についてお話をいたします。校訓とは、生徒の皆さんにこんな人になってほしい、こんなことを大切にしてほしい、ということを短い言葉で表したものです。

 一つ目は「誠実」です。

 辞書には、「心がこもっていて、嘘いつわりがないこと」と説明があります。似たような言葉に「真摯」とか「実直」などがありますが、「真摯に行う」というと真面目で一所懸命に取り組むことを表し、「実直な人柄」というと真面目で表裏のないことを言います。それに対して、「誠実」は「心がこもっている」ことが特徴ですから、「誠実な人」とは、真面目で心から相手のことを考えて行動できる人をいうのでしょう。

 めでたい入学式の席で恐縮ですが、世の中には、嬉しいことや楽しいこと、明るいことがたくさんあるのと同じように、悲しいことやつらいこと、暗いこともたくさんあります。ときに人間は、悲しくて、つらくて、真っ暗な中に一人ぼっちでいるような気持になって、どうしようもなくなってしまうことがあります。

 しかし、そんな時に誰かが、そのつらい気持ちでいる人のことを心から考えて、その誠実さを言葉や態度や行いで示してくれたら、どうでしょうか。真っ暗な気持ちの中に閉じこもっている人にとって、誠実な思いやりを示してくれたその人は、光そのものです。植物が光を浴びて成長するように、その人は、もう一度立ち上がって伸びていくことができます。人間は、誠実さを持とうとすることで、誰かの光になることができるのです。

 誠実という校訓には、皆さんに、世界のどんな隅っこでもいい、小さくてもいい、誰かを光で照らしてあげられるような思いやりのある人になってほしいという願いが込められている、と私は考えています。

 校訓の二つ目は「貢献」です。

 今日は「ある物事や社会のために役立つよう力を尽くすこと」という辞書的な意味よりも、もっと皆さんの人生に関わることを話します。

 私は、自立するということは、自分のできないことを誰かに助けてもらう代わりに、誰かのために何かができるようになることだと考えています。人間は集団で社会をつくってきました。すべてを一人でこなして生きていくことは誰にもできません。困ったときに適切な形で誰かに助けを求めることのできる力を身につける。同時に、何かを通じて困っている人を助けてあげられる力を身につけ貢献する。それが本当の自立だと私は考えます。

 新入生の皆さん。不思議なことに人は、誰かに何かしてもらっているだけでは、どんな贅沢をしても良いものを手に入れても満足しないそうです。他人に喜ばせてもらっているだけでは心の底からの喜びを手に入れることはできないのだそうです。では、人は、どんなときに幸せな気持ちになれるのでしょうか。

 実は、人間は自分の存在が意味のあるものだと感じたときに本当に満足し、幸せな気持ちになるのだそうです。自分の力で誰かに喜んでもらえたとき、誰かが幸せになるお手伝いができたとき、誰かを助けたり、何か良いことの役に立つことができたりしたとき、心の底から満足感を感じ、生きていてよかったと思うのだそうです。

 だから、校訓にある「貢献」は、誰かのために何かしろと呼びかけているのではなくて、皆さんに、人や社会の役に立って本当の満足を味わう幸せな人生を送ってほしい、誰かを助けたり誰かに助けられたりしながら、立派な社会人として生きていけるようになってほしい、という願いを込めてある言葉なのだと私は解釈しています。

 校訓の最後は、「創造」です。

 もちろん、新しいものを初めて創り出すことを表します。今までになかった物事を作り出す、オリジナリティのあるアイデアを出す、ということなのですが、まさか、皆さん全員に発明家になれとか会社を起こせ、と言っているわけではないでしょう。

 確かに、将来、今までなかったような個性的な活躍を皆さんにしてほしいという願いも込められているでしょう。しかし、だからといって、無理して個性的であろうとしたり、やたら人と違う変わったことをしようとしたり、良いお手本が近くにあるのに、ゼロからすべて自分で生み出さなければいけないと悩んだりする必要は、ありません。

 ためしに、何かをすべてお手本どおりにやってみようとしてください。絶対に、100%同じにはできません。同じようにできない理由は、ひょっとしたら、あなたが未熟なためかもしれません。しかし、その同じでない部分には、確実に、あなたの個性が隠れています。

 個性は、わざと目立たせようとしても育ちません。努力して成長していくうちに、いつの間にか伸びているものです。あるいは、お手本どおりにやっているうちに、自分はどうしても別のことがやってみたいと、湧き上がってくるものなのです。なぜなら、個性は誰もが持っているものなのですから。

 ちなみに、大した努力もせずに手に入った個性だと思えるものの多くは、ただの悪い癖です。直すべきものであることがほとんどです。自分には個性がないと悩む人は、まず、お手本どおりにできる力を身につける努力をしてみてください。お手本どおりにできたかな、と自分で思えるようになった頃に、誰かが「あなたは、とても個性的で魅力的なものを持っていますね」と言ってくれるでしょう。どうぞ、誰もが持っている創造的な個性が、自分の中から形になって出てくるよう、自分を磨いてください。

 さて、保護者の皆様。大きくなったお子様を御覧になって「もう、何でも子どもにまかせていいかな」と思う方も多いと思います。しかし、高校生は、まだ実社会を良く知りません。むしろ、世の中を知っている保護者の皆様からのアドバイスは、さらに貴重なものとなります。

 また、総合学科という柔軟な教育システムは、大きな自由がある反面、その選択の責任を自分で負わなければならないシステムでもあります。卒業に向けしっかり自己管理できることが必要になります。

 保護者の皆様におかれましては、本校の教育について御理解と御協力をいただき、学校と連携して、お子様の健やかな成長と卒業後の希望進路実現のために御支援を賜りたく存じます。我々教職員も全力で生徒の皆さんの努力を支援いたします。

 最後に、入学生の皆さん。どうか、保護者の皆様をはじめ、皆さんが高校で学ぶことができるように道を拓いてくれた方々に感謝してください。そして、今度は皆さんが、どんな小さなことでもいいですから、誰かのために道を拓いてあげられるような力を、この寄居城北高校で身につけて卒業してください。

 結びに、新入生の皆さんが実りある高校生活を送り大きく成長することと、御臨席いただいたすべての皆様の御健勝と御多幸とをお祈り申し上げて、式辞といたします。

   令和七年四月八日

                 埼玉県立寄居城北高等学校長 新井 康之