第3学期終業式における校長講話(令和7年3月24日)
改めまして、おはようございます。
後期の終業式を迎えました。12月にも同じようなことを言いましたが、皆さんにとってのこの1年が、どんな小さなことでもいい、自分が成長したと思えるような、何らかの努力が実を結んだと思えるようなものであることを祈っています。
3月10日に行われた卒業式は、ほんの3年前のコロナ禍が嘘のように、在校生の皆さんにも参加してもらい、国歌、校歌、「旅立ちの日に」などを一緒に歌って卒業生を送り出すことができました。たいへん嬉しく思っています。きっと卒業生の皆さんは、皆さんと過ごした寄居城北高校での日々によって成長した自分自身に、しっかりとした手応えを感じつつ巣立って行ってくれたことと思います。
卒業した先輩たちは、自分のいのちをより良く成長させるような生活を送り、巣立って行きました。それは、高校生としての貴重な時間を大切にしてきたということです。そして、まわりの人と一緒に成長する中で、お互いを大切にするために、ルールやマナーなどの、さまざまなきまりを大切にしてきたということでもあります。皆さんも「いのちと時間ときまり」を大切にして、それに続いてください。
さて、生徒会の皆さんが作ってくれた「赤土」という冊子があります。皆さんに配られるものですが、この中に、私も文章を書かせてもらいました。「赤土を練り、焼き、器とする」という題をつけました。
縄文式土器。私たちの御先祖様が初めて焼いた器ですが、これには粘土のほかに、わざと入れたとしか思えない植物の繊維や砂など、さまざまなものが含まれている、と聞いたことがあります。
人間の精神の大きさを、その人の「器」と表現することがありますが、人も、「すぐ役に立つもの、自分の得になるもの」だけに目を向けるのでなく、さまざまなことを学び、ときには炎で身を焼くような苦しさも潜り抜けて、割れにくい大きな器を作っていくのでしょう。鍛錬という言葉のように、たたいて、鍛えて、練って、という工程が必要なことが、ときにはあります。逆に、折れたり火が消えたりしてしまうほど自分をいじめてもいけません。また、土器でいう植物の繊維や砂やそれを焼く火種のような、自分にとっての適切な助けを見極めて、それを求める力や、人に頼る力も必要です。色々と、考えてみてください。
さて、長いお休みに入る前には、いつも言っていますが、本を読みましょう。誰かの役に立つ手伝いなどをしましょう。本は、自分の世界を広げてくれます。手伝いなどを通じて誰かの役に立つこと、良いことの実現にかかわることは、自分自身の成長を感じる第一歩となります。そして、挨拶をしましょう。挨拶は、人と人との心を近づけ、心を開いてくれるきっかけになります。
繰り返しになりますが、今年度の一年間が皆さんにとっての成長につながるものであったことを祈りつつ、これから迎える来年度の一年間が、さらに実を結ぶものとなることを願っております。どうか、4月8日の始業式に、皆さんの元気な顔を見せてください。