2024年4月の記事一覧
令和6年度入学式における校長式辞(令和6年4月8日)
式辞
見上げれば、例年より少し開花が遅かった桜の花も咲き誇り、枝には鳥が歌っています。見下ろせば、寄居町の花であるカタクリの花も、そこここで見られます。今日の佳き日、本校PTA会長をはじめとする多くの御来賓をお迎えし、保護者の皆様にも御臨席いただき、埼玉県立寄居城北高等学校 令和六年度入学式を挙行できますことは、本校校長として大きな慶びでございます。ここにお集まりの皆様、また、この式の実現に尽力してくださったすべての方々に、心からの感謝を申し上げます。
さて、先ほど呼名された百九十五名に、入学を許可いたしました。新入生の皆さん、入学おめでとうございます。高等学校は義務教育ではありません。皆さんの多くは、人生で初めて自分の進路に関わる選択と決断を経験して、この学校に入学しました。それぞれの不安や迷いを乗り越えて、皆さんはここに座っています。胸を張ってください。
これからは、寄居城北高校の生徒として一緒に学んでいきます。私たちは、皆さんを歓迎します。皆さんのこれからの努力を、応援します。
そして、入学生の皆さんを育て、支えてこられた保護者の皆様、おめでとうございます。また、この場にはいない、今まで、この新入生たちを見守り、助け、応援してくださった方々にも、心よりお祝いを申し上げます。
本校は、地域の皆様の期待にこたえつつ、多くの人材を社会に送り出してきました。卒業生は、高等学校での学びを踏まえて、進学、就職、あらゆる分野で活躍し、世の中を支えています。今、本校に在学中の生徒たちも、そのような先輩の後に続くべく、充実した高校生活を送っております。新入生の皆さんも、寄居城北高校での学びと、高校生としての生活体験を、自分の成長のために生かしていってください。
それでは、新入生の皆さんに、高校生活において大切にしてもらいたいもの、守ってもらいたい三つのことについて、お話します。
一つ目は、命、人の命です。
皆さんも、私も、大切な「命」を持っています。どんな人にも平等に、命は一つしか与えられていません。この最も大切な宝は、何があっても守らなければなりません。自分の命を大事にする、ということは、自分の人生を大切にして、自分を成長させるということです。自分の命をより良く使うということです。そして、他人の命も大事にしてください。誰かをいじめたり、誰かが頑張って成長しようとしているのを邪魔したり、何かに真剣に取り組んでいる人をからかうことは、他人の命を粗末にすることです。そんな人は、自分自身のことも大切にできません。人の嫌がることや、十年後の成長した自分が後悔するようなことは、してはいけません。命の価値は平等ですから、自分の命も他人の命も、大切にしてください。
大切にしてもらいたい二つ目のものは、時間です。
時間というものも、人間に平等に与えられた財産です。大事にしてください。授業でも、部活動でも、あなたが、限られた高校生活の中で、そのとき取り組んでいること、目の前にあるやるべきことを大切にする。それが、時間を大事にすることの第一歩です。
三つ目は、決まりです。
ルールやマナーやエチケットなど、さまざまな決まりごとを大切にしてください。すべての決まりには、それが存在する理由があります。その決まりを守ると、便利になったり得をしたりします。あるいは、その決まりを守ると、誰かを傷つけずに済んだり、自分が傷つかずに済んだりします。若い頃には、決まりを破ることが格好良く見えてしまうことがあります。しかし、それは錯覚です。なぜ、その決まりがあるのか、理由を考えるようにしてください。もしも、その決まりがあるために、かえって不便な人や傷つく人を増やしてしまっているのなら、正しい手続きで決まりを変えましょう。決まりを破ったり、壊したりする力ではなくて、誰かと協力してもっと良い決まりをつくる力を手に入れましょう。高校生活における学びを通じて、そんな力を養いましょう。命と、時間と、決まりを大切にしてください。これが、守ってほしい三つのことです。
さて、保護者の皆様、入学生の皆さん、本校は「誠実」「貢献」「創造」という三つの言葉を校訓として、総合学科という、一人ひとりが希望する進路や興味・関心に合わせ、多様な学びを仲間と一緒に行うことができる、柔軟な教育システムをとっています。しかし、このシステムは大きな自由がある反面、大きな責任を自分で負わなければならないものでもあります。卒業するためには自分自身をしっかり管理できることが必要になります。保護者の皆様、どうか、本校の教育方針について御理解・御協力をいただき、学校と連携しながら、お子様の健やかな成長と卒業後の希望進路を実現するための支援をしていただきたいと存じます。我々教職員も、全力で生徒の皆さんの努力を支援いたします。
最後に、入学生の皆さん、どうか、保護者の皆様をはじめとする、皆さんが高校で学ぶことができるように道を拓いてくれた方々に感謝してください。そして、今度は皆さんが、どんな小さなことでもいいですから、誰かのために道を拓いてあげられるような力を、この寄居城北高校で身につけて卒業してください。
結びに、新入生の皆さんが実りある高校生活を送り大きく成長することと、ここに御臨席いただいたすべての皆様の御健勝と御多幸とお祈り申し上げて、式辞といたします。
令和六年四月八日
埼玉県立寄居城北高等学校長 新井 康之
1学期始業式における校長講話(令和6年4月8日)
改めまして、皆さん、おはようございます。この4月から、寄居城北高校の校長として皆さんと一緒に過ごします、新井康之です。よろしくお願いします。
令和6年度の始まりにあたり、少し長い時間をいただいて皆さんに話をします。内容は大きく分けて三つ。皆さんへのお礼と、本校の校訓についての話と、皆さんに大切にしてほしいと私が考える3つのことについての話です。
まずは、お礼から。
春休み中、近くの小中学校などに挨拶に伺いました。そこで、寄居城北高校の生徒の皆さんが、きちんとした服装や態度で頑張っているというお話や、小学校の授業にお手伝いに行って、とても丁寧に教えてくれているという話を聞 き、嬉しくなりました。早く皆さんに会いたくなりました。学校に対する地域の評価というものは、本当に大切なものなのです。今まで頑張ってきてくれた生徒の皆さんや、御指導くださった先生方に、改めて御礼申し上げます。
次に、寄居城北高校の「校訓」についての話をします。
校訓とは、生徒の皆さんに、こんな人になってほしい、こんなことを大切にしてほしい、という思いを短い言葉で表したものです。
本校の校訓の1つ目は「誠実」です。
辞書的な意味では「心がこもっていて、うそいつわりがないこと」と説明されます。似たような言葉に「真摯」とか「実直」といったものがありますが、「真摯に行う」というと、真面目で一生懸命に取り組むことを表し、「実直な人柄」というと、真面目で表裏のない人のことを言います。それに対して「誠実」は「心がこもっている」ところが特徴ですから、「誠実な人」というと、心から相手のことを考えて行動できる人のことを指します。
年度の初日から嫌なことを言いますが、世の中には、嬉しいことや楽しいこと、明るいことがたくさんあるのと同じように、悲しいことやつらいこと、暗いこともたくさんあります。時として人間は、悲しくて、つらくて、真っ暗な中に一人ぼっちでいるような気持になって、どうしようもなくなってしまうことがあります。
しかし、そんな時に誰かが、そのつらい気持ちでいる相手のことを心から考えて、その誠実さを、言葉や態度や行いで示してくれたら、どうでしょうか。
真っ暗な気持ちの中に閉じこもっている人にとって、誠実な思いやりを示してくれたその人は、光そのものです。植物が光を浴びて成長するように、その人は、もう一度立ち上がって伸びていくことができます。
皆さん。人間は、誠実さを持とうとすることで、誰かの光になることができるのです。誠実という校訓には、皆さんに、世界のどんな隅っこでもいい、小さくてもいい、誰かを心の光で照らしてあげられるような思いやりのある人になってほしい、という願いが込められていると私は考えています。
校訓の2つ目は、「貢献」です。
辞書には「ある物事や社会のために役立つよう力を尽くすこと」などと書いてありますが、辞書的な意味よりも、もっと皆さんの人生に関わる話をします。
私は、このように考えています。人間が自立するということは、自分のできないことを誰かに助けてもらって生きていく代わりに、誰かのために何かができるようになることだ、と。人間は、集団で社会をつくって生きてきた動物です。決して、何から何まで一人だけでこなして生きていくことはできません。自分が困ったときに、きちんとした形で誰かに助けを求めることのできる力を身につけるのと同時に、自分は、何かを通じて困っている人を助けてあげる力を身につけ貢献する、それが本当の自立だと私は考えます。
皆さん。不思議なことに人間は、誰かに何かをしてもらっているだけでは、どんなに贅沢をしても、良いものを手に入れても、満足しないのだそうです。他人に喜ばせてもらっているだけでは、心の底からの本当の喜びを手に入れることはできないのだそうです。では、人は、どんな時に、本当に幸せな気持ちになれるのでしょうか。
実は、人間は、自分の存在が意味のあるものだと感じた時に、本当に満足し、幸せな気持ちになるのだそうです。自分の力で誰かに喜んでもらえたとき、誰かが幸せになるためのお手伝いができたとき、誰かを助けたり、何か良いことの役に立つことができたりしたときに、心の底から満足を感じ、生きていてよかった、と思うのだそうです。
だから、校訓にある「貢献」とは、誰かのために何かしろと呼びかけているのではなくて、「人や社会の役に立って、本当の満足を味わう幸せな人生を送ってほしい。誰かを助けたり、誰かに助けられたりしながら、立派な社会人として生きていけるようになってほしい」という、皆さんに向けての願いが込められている言葉なのだ、と私は解釈しています。
校訓の最後の言葉は、「創造」です。
もちろん、新しいものを初めてつくり出すことを表します。今までになかった物事を作り出す、オリジナリティあふれるアイデアを出す、ということなのですが、まさか、皆さん全員に発明家になれとか会社を起業しろとか言っているわけではないでしょう。
確かに、将来、今までなかったような個性的な活躍を皆さんにしてほしいという願いも込められているでしょう。しかし、皆さん。だからといって、無理に個性的であろうとしたり、無理に人と違う変わったことをしようとしたり、良いお手本が近くにあるのにゼロからすべて自分で生み出さなければいけないと悩んだりする必要は、ないんです。
ためしに、何かを、すべてお手本どおりにやってみようとしてください。絶対に、100%同じようにはできません。その、同じようにできない理由のほとんどは、ひょっとしたら、あなたが未熟なためなのかもしれません。しかし、わずかであったとしても、その同じでない部分には、確実に、あなたの個性が隠れています。
個性は、わざと目立たせようとしても育ちません。努力して成長していくうちに、隠そうとしても無くそうとしても、いつの間にか見えてきてしまうものなのです。あるいは、お手本どおりにやろうとしているうちに、どうしても自分はこうせずにはいられない、と、湧き上がってきてしまうものなのです。なぜなら、個性は、大なり小なり、誰もが持っているものなのですから。
ちなみに、1万人に1人くらいの天才は例外として、大した努力もしないで手に入る個性は、自分が個性だと勘違いしているだけの、ただの「悪い癖」です。直すべきものであることが、ほとんどです。
もし、自分には創造的な個性がない、個性がほしい、と悩んでいる人がいたら、まず、お手本どおりにできる技術を身につけようと努力してみてください。きっと、お手本どおりにできるようになったかな、と自分で思えるようになったとき、誰かが「あなたは、すごく個性的で魅力的なものを持っているね」と言ってくれるようになりますよ。
皆さんの創造的な個性は、ディズニー映画の歌のように、「ありのまま」でいいものですが、決して、「今のまま」でいい、というものではないのです。どうぞ、誰もが持っている創造的な個性が、自分の中から形になって出てくるよう、自分を磨いて、成長してください。
3つ目の話は、短く済ませます。
「いのち」と「時間」と「きまり」について話します。
皆さん、どうか、充実した、有意義で幸せな高校生活を送るために、自分にも他人にも一つずつしか与えられていない、かけがえのない「いのち」を、お互いに大切にしてください。誰にでも平等に与えられている「時間」を大切にしてください。そして、お互いを傷つけないために存在する、ルールやマナーやエチケットといった、さまざまな「きまり」を大切にしてください。これについては、別な機会にも繰り返し話します。
本日は、これを、校長からの挨拶と、始業式における校長講話といたします。終わります。